今はなき友達に贈るあの時の気持ち(前編)
彼は今でもひょっこり現るような気がする。
いつまでも一緒に生きていけると思っていた。
初めて出会ったのは、入学した大学のとあるサッカーサークルだった。
背が高く、体もガッチリしていて足も早い。そして控えめに言って爽やかな青年でサッカーが巧かった。正直スペックが高く嫉妬もしたが、何度か顔を合わせているうちに、何故か気があった。お互い1人で参加していたかもしれない。もしくは一人暮らしをし始めて周りに友達がいなかったからかもしれない。
お互い家が近かったこともあり、週に一度は泊りがけでウイニングイレブン(サッカーゲーム)をした。意外に手癖・足グセの悪い彼は負けると手当たり次第ものを投げてはいらいらをぶつけてきた。それが少し嫌だった気がする。
車で行けるとこはどこまでも行った。自称「食通」の彼は、いろんなところにつれていってくれた。午前中しかやっていないラーメン屋。下北沢から歩いてすぐの寂れたお店。可愛い子がいるというお店。連れて行ってくれたお店はどこも味があり、出て来る料理も美味しかった。
共に青春時代を過ごした友達だった。4年間本当に楽しかった。
卒業旅行も彼を含む4人でニューヨークに行った。本当はトルコに行きたかったが、ISIS・ISIL(イスラム国)の影響で断念した。
ニューヨークはマイナス15度の極寒の2月。それでも何か思い出になることをしようぜ!考えた挙句、早朝、半袖半ズボンでセントラルパークをマラソンをした。
想像よりも寒いし、アジア人4人をみて引いて観られることも痛かった。それでも世界の中心で馬鹿なことをしている。というのが面白かった。
ホテルマンは僕らをみて「CRAYZY!!」と言って笑っていたが、走っていると大きな犬を連れた全裸の男(パンツは履いてた)の方がものすごくクレイジーだと思った。寒くて死にそうだった僕らは世界にはすごい人達(CRAYZYな人たち)がいることを肌で感じた。
卒業後、僕らはそれぞれの人生を歩む事になった。あるものは先生になった。あるものは家電量販店の店員になった。彼は大手メーカーの子会社に入社した。僕は人材業界に入社した。
僕と彼は偶然にも登戸駅の近くに新しい家を借りることになった。
月に1、2回、金曜に仕事が終わると僕らはお酒を飲み歩いたフィリピン人がオーナーのピアノバーに出向き、強いお酒を飲んで帰った。フィリピンママは店に入るとまったく見当違いの名前を言い出して久しぶり!と出迎えてくれた。
いつか覚えてほしいよねと言って笑いあった。
そんな2年目僕は将来を見越した彼女と同棲を始めることとなり、引っ越しをすることになった。彼はそれがとてもショックだったらしく、さびしいわ!!と笑って言っていた。
それから僕は同棲が慣れるまで彼と会うことはしなかったし、仕事が鬼のように襲ってきて毎日遅くに帰る日々を過ごすようになり、うつ病を発症した。