今はなき友達に贈るあの時の本音(中編)
「今はなき友達に贈るあの時の本音(前編)」の続きです。
僕は「うつ病」という心の病と戦っている間、彼とはSNS上でのやり取りすら
やっていなかった。薬の副作用や体調の変化についていけず、自分のことで精一杯だったと思う。
そんな彼も聞くところによると、繁忙期や年度末に先輩の退職が重なりときには土日も
出勤していたという。お互い仕事で忙しい日々を送っていたのだろう。
次にあったときは休職をした最初の週でした。武蔵小杉出会った彼は、
顔が変わっていました。むくんでいたということではなく、顔が変わっていたのです。
あんなに爽やかという表現が似合う男が、、、疲れた顔をしていて、上手く笑えてもいませんでした。
僕は「どうしたの?」と聞かずにはいられませんでした。
「眠れてないんよね。。。。仕事でミスるとそれが頭に残ってさ。。。」
今までお酒を飲んでも飲まなくても陽気で時にイライラするとすぐ暴力を振るう暴虐無人(あくまで個人的なイメージです。)今までの彼と別人のように弱気でした。
そんな彼に僕が出来ることは話を聞くことくらいでした。そして僕自身も「うつ病」であることを告げました。
武蔵小杉の高架下にあるイタリアンバーでお互いお酒を交わしながら、最近聞けなかった淡いもない話をして時間を過ごしました。僕の同棲の話、彼の彼女の話。仕事の話。精神科の話。会えなかった空白期間を埋めるように話し合い、その時は別々の家路につきました。
それから数日立ち、彼から連絡が来ました。
「俺も休職することになったよ。不眠症って言われた。」
なんとなく顔が変わっていたことや、寝れていないことを聞いていたので、
そんな気はしていました。
僕は「絶対治して幸せな将来を作ろうよ。時間はあるからね!!笑」
なんて彼に連絡を返したのを覚えています。
それからお互い1日することがないので、数時間電話をしたり、時には会ってお互いを鼓舞したり、最近取り入れていること(リハビリ関係)の共有をして過ごしました。まるで付き合っている彼氏のようだったので怖くなり、彼女は元気かと聞いたところ
「上手く付き合えんくてね。どう接したらいいかわからんくてね。。。」
彼女の家に行ってお泊りしたり、どこか行ったりしているようですが、上手く笑えなかったり、本音で話すことが出来なくて迷惑をかけていると感じているとのことでした。
僕は彼女さんと面識がなく、何を言っていいのかわからなかったので、今回も聞くだけで何もできずどうしたらいいのかわかりませんでした。
そんな2017年の5月の終わり、彼からSNSで
「彼女がダンスをするから埼玉に行かない?」
というお誘いがあり、彼が元気になるいいきっかけになるかもしれないのと、
彼の彼女に会いたかったので行く返事をしました。
彼の彼女に会うことも、ダンスを見るということも初めてでとても楽しみでした。
ダンスは素晴らしい時間でした。ダンスというものに対しての認識を改めるほどでした。音楽の選曲、切れのあるダンスが印象的で時間を忘れさせました。
ダンスショーが終わり、ダンサーのみなさんが会場に降りてきて、ある小柄な女性が近づいてきて彼の横に来ました。髪の毛をセットしていて(髪の毛が何編みなのかよくわからない編み方されてました)笑顔が素敵な女性でした。
彼からお付き合いしている彼女という紹介をしてくれたので、僕はおどおどしながら軽めに(気持ちでは)挨拶を交わし、感動したことを伝えその日は別れました。
彼女可愛かったね!と褒めちぎり、にやにやする彼と電車で帰ることとなり、ホームで電車で待っていると、彼の電話が鳴り
「あ、親からだ。悪い先帰っといて!」
「おう、今度ラーメン食いに行こうな!」
僕は最後にラーメンを杭に行く約束を伝えホームにきた電車に乗りました。
またすぐ会える。いつものように。そんなの当たり前のことだと勝手に思い込んでました。
それが彼をみた最後の姿でした。
今はなき友達に贈るあの時の気持ち(前編)
彼は今でもひょっこり現るような気がする。
いつまでも一緒に生きていけると思っていた。
初めて出会ったのは、入学した大学のとあるサッカーサークルだった。
背が高く、体もガッチリしていて足も早い。そして控えめに言って爽やかな青年でサッカーが巧かった。正直スペックが高く嫉妬もしたが、何度か顔を合わせているうちに、何故か気があった。お互い1人で参加していたかもしれない。もしくは一人暮らしをし始めて周りに友達がいなかったからかもしれない。
お互い家が近かったこともあり、週に一度は泊りがけでウイニングイレブン(サッカーゲーム)をした。意外に手癖・足グセの悪い彼は負けると手当たり次第ものを投げてはいらいらをぶつけてきた。それが少し嫌だった気がする。
車で行けるとこはどこまでも行った。自称「食通」の彼は、いろんなところにつれていってくれた。午前中しかやっていないラーメン屋。下北沢から歩いてすぐの寂れたお店。可愛い子がいるというお店。連れて行ってくれたお店はどこも味があり、出て来る料理も美味しかった。
共に青春時代を過ごした友達だった。4年間本当に楽しかった。
卒業旅行も彼を含む4人でニューヨークに行った。本当はトルコに行きたかったが、ISIS・ISIL(イスラム国)の影響で断念した。
ニューヨークはマイナス15度の極寒の2月。それでも何か思い出になることをしようぜ!考えた挙句、早朝、半袖半ズボンでセントラルパークをマラソンをした。
想像よりも寒いし、アジア人4人をみて引いて観られることも痛かった。それでも世界の中心で馬鹿なことをしている。というのが面白かった。
ホテルマンは僕らをみて「CRAYZY!!」と言って笑っていたが、走っていると大きな犬を連れた全裸の男(パンツは履いてた)の方がものすごくクレイジーだと思った。寒くて死にそうだった僕らは世界にはすごい人達(CRAYZYな人たち)がいることを肌で感じた。
卒業後、僕らはそれぞれの人生を歩む事になった。あるものは先生になった。あるものは家電量販店の店員になった。彼は大手メーカーの子会社に入社した。僕は人材業界に入社した。
僕と彼は偶然にも登戸駅の近くに新しい家を借りることになった。
月に1、2回、金曜に仕事が終わると僕らはお酒を飲み歩いたフィリピン人がオーナーのピアノバーに出向き、強いお酒を飲んで帰った。フィリピンママは店に入るとまったく見当違いの名前を言い出して久しぶり!と出迎えてくれた。
いつか覚えてほしいよねと言って笑いあった。
そんな2年目僕は将来を見越した彼女と同棲を始めることとなり、引っ越しをすることになった。彼はそれがとてもショックだったらしく、さびしいわ!!と笑って言っていた。
それから僕は同棲が慣れるまで彼と会うことはしなかったし、仕事が鬼のように襲ってきて毎日遅くに帰る日々を過ごすようになり、うつ病を発症した。
25歳の決断。。。
※こんな写真取りたい。。。。
昨日、部長との面談で来期をどう進めるのか話し合いが行われました。
当初給料・待遇は変わらない条件(ボーナス無し)で進めていましたが、
昨今問題となっている同一労働・同一賃金の問題で、人事より、
契約社員になる場合は
時短
ノルマ無し
減給
インセン・ボーナス無し
という待遇で進めなければなれないという判断でした。
会社の規定を調べても、部長と進めていた待遇での雇用は無く、ある程度覚悟はしていましたが、改めてその事実を受け止めると想像以上に辛いものです。
試算をすると約150万以上の年収ダウンと想定します。
ただ、同じ待遇目標なのに、契約社員・正社員があるのはおかしい気がします。
その点人事の判断はその通りだとおもいます。
そして先程、部長にメールにて契約で進めてほしいとの意志を伝えました。
部長と私の中で優先順位の高いものは「長く働くこと」です。
そのためには体調(うつ病)を治さないといけません。もしこのまま正社員として
働く場合、最低でも月100時間程度の残業はこなさないといけないのです。今の自分には定時でも相当きついです。今はやれる自身も根拠も無いです。。。。
考えに考え来期は契約社員になる判断をしました。
4年目にして初めての降格です。素直に受け入れたいのですが、
本当は悔しさでいっぱいです。
同棲している彼女にはなんて言おう。。。。
同期は昇進しているのに僕だけ。。。
親に、、、、心配をかけそう。
学生奨学金は支払えるかな。。。。
お金。。。。。貯まらない。。。。
将来を考えると不安です。
そしてくやしいです。
でも今はうつ病と戦うことが一番です。
健康を取り戻す。そして晴れてもう一度正社員で仕事をする。
この1年が実りある時間にしよう。戦います。。
応援お願い致します。
ありがとうございました。
昨日の産業医との面談と今後の働き方について
※僕も時々企業の面接官の横に顔出してます。
今日は簡単なご報告をします。
会社に復帰をして3ヶ月、仕事も任せうようになり、4月からは現場復帰が決まりました。社内都合の兼ね合いもあり、来期からは契約社員(来年正社員戻る予定)として働きます。
給料も減り、年2回のボーナスやインセンティブなくなるというものです。正直受け入れるのには少しかかりました。大体年収が150万程違ってくるからです。
また将来を見越して同棲をしているので考えものでした。
それでも決断しました。一番は自分の体調を治すこと。これが人生で一番大事だと、会社と話し合った結果です。正社員に戻すというのが前提で進めています。
うつ病は復帰しても50%の方は再び休職するとのことです。
その理由と背景としては完全に治っていない状態で、周りと同じように進めると、焦りや、無理をしてしまうからだそうです。私自身、復職後周りの成長と、企業の発展スピードに焦りを感じていました。
しかし、前の反省を振り返り一番大事なのは自分だということを病気から学びました。もう二度と経験したくない。絶対に治したい。その気持ちから今回の決断をしています。
必ず、自分の健康を取り戻し、幸せになる。。。なりたい。。。です。。。なる!!
そんな感じで、昨日産業医さんとの面談がありました。
今まで残業20時間までという判断を貰いましたが、今月から残業開放として
上司と話して仕事の進め方を決めるということで進めてもらいう判断を貰いました。
ましろ25歳。
3年目でうつ病。4年目で契約社員。5年目は絶対正社員にもどり、
自分の人生を取り戻す。面白い人生になりそうです。
昨日までのお話でした。
お世話になっている精神科先生のことは嫌いになれないが心配である。
人生長くなれば長いほど病院に行く回数は増えると思います。
皮膚科・内科・耳鼻科・外科や女性は産婦人科など様々です。
今日は昨年からお世話になっている先生のお話しをしようと思います。
※個人的な意見です。先生を批判しているわけではありません!
※こんな先生もちょっと引きます。好きな女性や男性はいいかもしれませんね。
■先生について教えて
※この先生・・・威圧感すごい。
初めてお世話になったのは2月の中旬です。
もう心が悲鳴を上げきり、上司に進められて横浜にある精神科を探していて、
たまたま見つけた病院でした。近くにあり、HPもクチコミも普通だったので、
予約を申込んだことが始まりです。
院長先生は最初はまるまる太った方(体調を壊して入院した後は痩せられました)で、政治家の野田さんに雰囲気は似ていました。
年は30後半から40代。白髪交じりの髪を金髪にしている男性です。
物腰柔らかな物言いで、とてもゆっくりお話されます。
時々なにを行っているかわからない時があります。
先生というよりは毎日くたくたで疲れ切っている中年のサラリーマンのような
覇気の無い、色白の体調悪い顔をされています。
そんな先生から。
よく聞いてください。。。。。。うつ病ですね。 先生
といわれてもう1年も立ちます。
あっという間の1年だったような気がします。
うつ病だときいて少しほっとしたのを覚えています。
■先生との会話は何を話しているの?
・ちゃんと・・・・眠れてますか?
・食事は3食????
・トイレには行かれてますか?
もうちょっと様子を観てみましょうか。 お大事ください。 先生より
先生との会話の全てです。半年間これしか聞かれたことはありません笑
今まで様々な先生とお話をしてきましたが、こんなテンプレートのような
問いかけだけで終わるとは思いもしませんでした。
●しっかり睡眠も取っていて、トイレと食事も大丈夫です。 私
■はい。。。。。ちゃんと寝られてますか? 先生
●はい。そうですね。 私
■トイレも? 先生
●はい。そうですね。 私
■食事も? 先生
●はい。。。そうです。。 私
■それでは様子を見ましょうか。 先生
●あ。。。。はい。。。 私
最近では自分から報告をしてみることにしましたが、繰り返されてしまいました。
先生お願いです。なにか他のことも喋ってください!!!!
■驚いたこと
復職してからなかなか通えなくなり、現在は一ヶ月間隔で通院しています。
そんな先月のお話ですが、なんと久しぶりに違う話題を提供してくれまして、、、
それでは・・・・いつ頃復職されますか? 先生
あの、、、先生。すみません。昨年末から復職していますよ 私
え?????私なにか書きましたっけ?(PCガチャガチャ)
はい。診断書貰いました。 私
記録にないですねぇ。。。。。 先生
血液検査しましょうか。
え?????記録がない!?!?!?!?
先生情報管理お願いします!
急に先生が怖くなりました。
このあとの血液検査も先生がしてくださり、
注射針が刺さった後
あ、、、、、、。 先生
と言われ抜き直されました。
人生始めてで今まで普通だった注射がこの時ばかりは恐ろしく感じました。
はじめに刺されたところからは血が出ていますし、すぐ近くでは
注射針で血液が吸われています。。。怖かった。。。。
このあと急に立ちくらみ・冷や汗・しびれ・めまい等起きました。ネットで調べると、
VVR(vaso-vagal reactions:血管迷走神経反応)
針を刺すことをきっかけとして、迷走神経(心拍を遅くし血管の緊張を緩める神経)が緊張状態になる為に起こる副作用じゃないかと思われます。
※看護師の彼女に聞くとやはり同じような答えが帰ってきました。笑われましたが。
予約しても2~3時間待ちに待ちは当たり前で少し不便ですが、
多くの患者を抱えている先生でお疲れなのだと思います。
半年の間に一度体調を壊して入院されてましたし、どこも同じじゃないかと
受け入れています。他の先生なら違ったのかなとか思いますが、
かえるつもりは今のところ無いです。
ただ、副院長先生の問診はとてもわかりやすく、先生らしい風格で、
もう自分で管理していいんじゃない!?とも言われました。
まるで別次元のようでした。
先生。お体に気をつけてこれからもよろしくお願いいします。
ただ、先生の注射は勘弁してください。笑
今週末行きます!多分。
休職中にやってみてよかったと感じること
※こんな写真を撮りたいです!
最近薬がなくて離脱症状に陥り副作用?に悩んでおりました。
仕事では少しづつ任せてもらえるようになり、定時まで働けるようになりました。
ありがたいことです。それでも毎日疲れきってへとへとです。昨年まで終電か会社で徹夜していた自分とは思えません。
明日産業医面談があります。
来月からは残業も40~60時間解禁されると思います
(僕のお給料はみなし残業60時間分含まれております。)
いよいよ本格復帰が目の前に迫ってきました。
今日は半年を振り返り、やってよかったなと思うことをまとめてみました。
前回は失敗したということをまとめました。
僕は半年の間にさまざまなことを考え実行し、失敗しました。
その中で、あれ?これはやっていけるぞ!というものも見つけました。
これからまとめてあるのは個人的な見解で、医学的根拠はありません。
お医者さんと相談をしながら進めてください。
ちなみに、横浜の担当医さんにどう過ごしたらいいでしょうか?という問いに対して
うーん。。。静かなところにいてくださいね。 医者より
毎回これしかいわれませんでした。
でも確かに静かにするというのは今までやってきていなかったかもしれません。
休職中に体を休めるというのは、ある意味何もしないということなのかも知れないぞ・・・とそんなことを考えたりもしました。
今度は精神科医のお医者さんについてもまとめたいと思います。
まとめてあることは、苦しんでいる方や仕事だけの生活でつかれきっている方など見て頂けると、参考になるかもしれません。
・勉強、資格、本
・やりたいことリストの作成
・同じ悩みを持った方と会う、友人と会う
・スポーツ
■勉強(資格や本など)をする
※こんな書斎がほしいです。
薬が効いてきて、体重が15キロ太ったころ。体は重くなりましたが、
気持ちには余裕が戻ってきました。
そのころは薬の効果もあってか、何かしたいということにかられてしまい、
多くの失敗もしましたが、勉強は社会復帰後にとても役に立っています。
たとえば近くの大学に通い、先生の許可をもらい授業を受けていました。
※受講する場合は必ず先生の許可をもらいましょう。。先生によってはOKだしてくれます。
大学生に混じり心理学の授業を受けていました。(まだ見た目は浮いていませんでした。)卒業した大学では、英語を学んでおりました。
心理学という学問は受けたことがなく、とても新鮮でうつ病のメカニズムや、自分と向き合う機会になりました。
ここで心理学って面白い!ということを感じ、
すぐにできそうな民間の資格を探しました。
取得した心理学系の資格は以下のとおりです。
・カラーセラピスト (色から見る心理学)
・カラーボトルセラピスト(上と同様のもの)
・マインドブロックバスター(すごい名前ですよね)
・パワーストーンセラピスト(子供のころから宝石が好きでした)
今思えば、国家資格でも取ればよかったのですが、あのころは
薬の影響もあって、異常でした笑。変に好奇心が旺盛になっていたと思います。
ほかにも、アクセサリーの講師の資格なども取得しています。
本当趣味や興味を持ったものを手当たりしだい学んだ感じですね。
教えてくださった先生のご好意で、
うつ病患者(私)がデパートの一角や書店で、おばちゃん達の相談・カウンセリングを
していました。
解決なんて人生の先輩にはできませんでしたが、資格のおかげで、自身の気持ちに
気づいてくださり、前向きになったり、解決につながりそうだったり、お礼のメールなども頂きました。
僕自身も毎日情けない日々を過ごしており、自信をなくしておりましたが、資格を取り、感謝されることで自信につながりました。
また結構な収益にもつながり、今でも依頼があればやっています。
この経験から「心理学」に興味がわき、人生の助けになると確信し、
本などでも勉強するようになりました。今でも学んでいます。
今年は心理学に関連する国家資格を勉強しようと思います。
■やりたいことリストの作成
毎月何をしたいというリストをA4一枚に書き上げていました。
今まで、こんなことできないと思っていたことが実は簡単にできるんだということを
ここで学びました。
1ヶ月目に書いたリストはこれです。
※字が下手ですみません。
一秒思考(今度お話します)を元に書いていたらとまらなくなり、いったんすべて書き出そうという重いからまとめて見ました。
改めてみると結構多いなという印象です。最初は具体的なやりたいことを書いていますが、どんどん抽象的なワードが出てきていますね。
だんだんなくなってきて、思いついたのをかいたという感じです。
SEXしたいとか本当願望が丸出しです笑
今まで仕事しかできなかった分、いろんなことがしたいという気持ちが
ペンに乗って結構書きまくりました。
これを書き上げ、この中でやることをピックアップして計画をして、行動におこし、
結果はどうだったのかを検証して次のやりたいことや同じことをするときの改善提案にしてPDCAをまわしていました。
■同じ病気の人たちを出会う。
自分の気持ちがはじめて言える人たちの出会いがとても支えになりました。
実は
・あの優等生が
・あのモデルさんが
・仲の良い友達が
いろんな方が実は同じようなメンタルの病に悩んでいて、打ち明けられずもやもやしている人たちの出会いはお互いを支えあい、本音が言えたり、薬の副作用などの共有など
とても心強いものになっていました。今でも連絡を取っています。
■スポーツ
※かわいい子とスポーツしたいです。
体を動かすことはなにもかも忘れさせる時間でした。
もともとスポーツ一筋の学生時代でしたので、社会人になり運動ができずとても
フラストレーションがたまっていました。
フットサル・テニス・ロッククライミング・ジムなどできるときには動いていました。
15キロ太った体は、10キロ落ちました。体を動かすことは刺激的で、気持ちのもやが晴れるようでした。もしかしたら薬より断然効果があったような気がします。
いかがだったでしょうか。
半年でやってきた中でよかったことをまとめました。
次回は僕と先生のまったく進まない会話をお送りします。
※写真はフリー素材と自分が撮った写真で毎回構成しております。
下記のバナーの写真も僕が撮った写真からです!
めちゃかわいいハーフの子なんですよ!!
休職中にやっていた良くないことを振り返ってみる
休職中にやっていた良くないことを振り返ってみる
※めがねをしている女性いいと思います。
甘え方を知らない人がうつ病になる
甘え方を知らない人はうつ病になりやすい | PHPオンライン 衆知|PHP研究所
この記事を読んで確かにと一人で納得していました。甘え方ってどうするのでしょうか?素直な気持ちを隠す癖があるのかも知れません。
記事を読んで思ったことは第一に僕自身が「うつ病」になると思いもしませんでした。そんな人生を想像もしていませんでした。おそらくほとんどの人がそんな感じではないでしょうか。
納得させられる内容なのでぜひ読んでみてください。僕を担当している産業医のインタビュー記事を発見したので、記事にできたらと思います。
今日は休職中を振り返り、良くないことをまとめてみました。後編は「休職中やってよかったこと」をまとめます。
・昼過ぎまで寝る
・食べ物を食べまくる
・ただただマイナスなことを考える
・人と話さない
・何もしない自分にあせり、何かしてしまう
・勝手に期限を決めて治そうと意識する
昼夜逆転生活
※こんな人に出会ったら怖いですよね。
■一日の流れ
15:00 起床
16:00 身支度
19:00 夕食
22:00 彼女就寝。僕も就寝(寝たふり)する
28:00 パソコンか携帯をピコピコ
今考えるとすごい生活をしていました。薬が眠たくなるので、それに負けてしまい
また休む前からずっと眠かったので、眠気がなくなるまで寝ていると朝を通り越して
お昼過ぎに起きていました。
こんな生活が一ヶ月くらい続いたと思います。
食べ物を食べまくる!
※お友達になりたい。。笑
好きなものを好きなときに食べきれるだけ食べる。上記の生活スケジュールの合間には
ぱん・ご飯・おかし・けーき・ジュースなど、そのとき食べたいありとあらゆるものを
口にしていました。胃を刺激する薬を飲んでいたので食欲が刺激されていてどうしても
とめられませんでした。。。
マイナスなことを考える
※モデルさんいい表情されてます!
良くないことを考えてばかりでした。
会社は・・・・
将来は・・・・
病気は・・・・
限りなく深い海にもぐっている感じでした。特に深夜は自律神ぐらぐらになって
マイナス思考でした。
人と話さない
一日中部屋に閉じこもり最低限しか出ない時期がありました。
職場に復帰して感じたのは会話スピードについてけないことでした。
何もしないことに焦る
一日何もしないという時間を過ごしていると、
自分って何しているのだろうか。
世の中のためになにかしないと。
何かしないと!!
というような感情に流されていました。結局何もできず撃沈。という日々を過ごしていました。
勝手に期限を決めて治そうと意識する
仕事のように絶対ここまでに治す!と勝手に心で決めていました。
このころは徐々に治すということを知らず、いつもの風邪のようだと勘違いしていました。
こんな良くない生活をしていた私ですが、後半やってよかったことを記事にしたいと思います。