ななころび

なんどでも立ち上がろう。

スポーツ問題で思うこと

スポーツ問題。

本来の目的から外れた行動で問題になっていて正直悲しいです。

僕も幼い頃からスポーツに身を打ち込んできた人間です。幼稚園からサッカーを始め、同時に水泳・テコンドーを学び、休日のない毎日を10年以上過ごしました。その他にもテニス・スキーなども経験しています。

様々なスポーツ業界を経験してきたので、いろんな部活の監督・先生・コーチなどに出会ってきました。

僕は一流のプロ選手ではないですし、スポーツの知見が豊富なわけじゃないのですが、昨今問題になった、アメフト・レスリング・バトミントン・相撲・サッカー・・・会社で言えば、上司と部下の問題だと思いますが、いろんな出来事がとても悲しく思ってます。

ニュース内容は意図的に報道されてる感じもあるし、 ネットではいろんな意見がありました。

うーん。

思うこと

もしかしたら、みなさんもスポーツを通して経験があるのではないかと思います。

皆さん、スポーツのニュースを観て思いませんか?

ああいう監督・コーチって世の中にたくさんいません?

過去いろんな監督・コーチに出会ってきたから思うことでしょうか。

僕のスポーツ少年時代

僕が通ってた小学校・中学校・高校・大学はスポーツが盛んだったので、スポーツ関係の推薦進学・就職先が多く、どこもかしこも、先生・コーチ・監督が絶対でした。

ある意味、学生は学校での生活が彼らの「社会」なので、監督・コーチは「神」として崇められ、「親」ですら、「娘」「息子」の為に先生をヨイショしていたと思います。

おそらくそれは、僕より、年上の方のほうがより色濃く「当たり前」の経験だったのではないでしょうか。

「水は噛んで飲め!」 「足腰が弱い!うさぎ跳びで校庭10週!」 「言葉の暴力・肉体への暴力」 「吐くな、飲み込め!」 「俺の言う通りにしないなら推薦はないぞ」

これらに異を唱えると出てくる言葉は

「先輩たちもやってた」 「根性がない」 「試合に勝てないぞ」 「試合に出さないぞ」 「人生棒にふるぞ」

※実際に10年前位に言われた・聞いた言葉を並べました。

子供は素直な子が多いから、HAVE TO・MASTだと認識して 監督・コーチが絶対だ。違う考えは、異端者だ!あいつは間違ってる。バカにして当然だ!仲間はずれだ!と思うようになるし、 否定された本人も上に気に入られるように・仲間の輪を乱さないように振る舞います。ましてや、誰かに助けてなんて言えないし、言っても問題にならないことも多いです。

年上の方を敬い、学び、成長することは大事ですが、精神論が行き過ぎると、あんなニュースにあるのだと思います。

最近はSNSで拡散されるので、すぐに問題になりますから。

ニュースを観て、自身の過去を振り返ると、スポーツを通して学んだことがたくさんあります。スポーツは僕の人生で無くてはならないものです。

ワールドカップとかオリンピックは一種の芸術だと思ってます。

一方で行き過ぎた指導によって失われた時間・経験もたくさんあります。今ではいい経験・ポジティブな学びとして受け止めていますが、当時は身体的・人間性すら否定され、肉体的に傷いた経験もあります。

こういったことは僕だけの経験でしょうか。

あんな大人になりたくないと思ってた子供が大人になり、 今彼らと同じような人間になってやしないか。

何のためにスポーツをするのか。 何のために勝ちたいのでしょうか。 何のために。いま一生懸命スポーツに励む学生に聞いてみたいです。

ニュースを見て自問自答する機会でした。

協会の問題・クラブや部活のあり方など問題は多岐に渡り、そして根深いものですが、それはきっといろんな人が問題提起しているので、違う切り口で記事にしてみました。

皆さんはどうおもいますか?


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